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                                    つれづれなるままに・・・ 「ひぐらしの里日記」 有田 昇
■2011(H23)年

12月27日(火)11
大学時代のクラス会に出席(大阪)

 何年ぶりだろうか、大阪の地を歩くのは。午前中は銀座に本店があるクライアントでプレゼン。それを終えると東京駅から新幹線で大阪へ。昼食は車中で持参のバナナを、新大阪できつねうどんを食べる。大阪に行ったら必ずといっていいほどきつねうどんに心が向いてしまうのだ。
  時間があったので、淀屋橋から心斎橋方面へブラリ歩いてみることにした(上の写真は淀屋橋から東方向を撮影)。それも、見知った御堂筋ではなく、一歩入った裏通りを北から南へ歩く。すると、道修町、久太郎町、北久宝寺町、南船場といった何だか懐かしい町名標識が次々と現れてくる。大阪で過ごした4年間の学生時代には、多分一度も足を踏み入れたことのない地域である。ちょっとタイムスリップしたような不思議な気持ちになった。
  この日は長堀橋のチサンホテルにチェックインし、地下鉄で上本町6丁目(通称上六)へ向かった。かつて我が母校の国立大学が在った町である。今は箕面市に移転して、もう30年以上にもなろうか。しかも、5年前に大阪大学と統合してその名も消えてしまった。会場のホテルには、大学4年間を共に過ごした懐かしい仲間たち20人が集まっていた。確か英語科のクラスは60数名だったから、出席率は3分の1ということになる。物故者も4人ほど出ている。中には45年ぶりに会うクラスメートもいて、顔と名前が思い出せなくて困った。大いに飲み、食べ、笑い、語り合い、あっという間の4時間が過ぎていった。

淀屋橋から西方向を撮る。右側に、建築中の中之島フェスティバルタワーが見えている。ほぼ完成に近い。うーむ、ワシらの青春時代とは様 変わりの風景じゃ。
中之島の大阪市中央公会堂。ウィキペディアによると、大正時代に建立され、ネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さ をも合わせ持つという。国の重要文化財。
クラス会は女性3名、男性17名の計20名。当時の面影のある人と、まったくない人と、さまざまである。酒もすすみ、時が経つほどに話も尽きない。
当時あこがれの美女は、体型こそ少し変化したものの笑顔は少しも変わらない。司会役(写真中央)は有名な一部上場企業の社長さんで、ワシらクラス仲間の出世頭だ。

11月10日(木)11
四谷のギャラリーに集合!

 秋の気配も深まったある日の夕方、仕事仲間のH氏を誘って、四谷で開催中の「桐谷逸夫幻想と写実展」に足を運んだ。ちょうどこの日の午後、偶然にも四谷に本社があるクライアント先でプレゼンがあり、そのひと仕事を終えてから会場へ駆けつけたのだった。
 ギャラリーは、折りしもオープニング・パーティーの真っ最中で、招待客でごった返していた。知っている顔も何人か見かける。外人客も多い。私たちはワインや日本酒、焼酎を飲み、次々に供される手作りの料理をつまみながら、画を鑑賞したり誰彼となく談笑したりした。
 画家のキリちゃんと奥さんのエリザベスさんがホストとホステス役を務める、いつもの気楽で気のおけない楽しいパーティーだった。

悠揚迫らぬ風情のK氏と、プロフェッショナルな営業パーソンH氏。いい雰囲気の中でグラスの酒も次第にまわって、なかなか話も尽きない様子だ
旅行や趣味にと、誠に羨ましい限りの悠々自適の日々を送るS氏は、ご婦人方を相手に話が弾む様子。こう見えてもオリンピック金メダルの水泳選手鈴木大地氏の叔父さんですぞ。
キリちゃんご夫妻の仲間は日本人も多いが、外人も多い。アメリカはもちろん、ヨーロッパ系、アジア系と、世界中からさまざまな人種の人たちが集まってくる。
このギャラリーの主人は韓国人の女性。今日のパーティーのために、わざわざ民俗衣装をまとって挨拶をされ、会場の雰囲気を大いに盛り上げた。挨拶も見事だったが、姿も美しい。
キリちゃんからの招待状と個展のパンフレット。今回の出典作品は、タイトルの通り、自然を題材にした写実的な作品と、想像力を駆使した色彩豊かな幻想的な作品の2つに分類されていた。

10月30日(日)11
雪入ふれあいの里公園

 こ、この二人の女は一体何を覗いているのか。しかも、よく見れば我が妻と娘ではないか(ちょっとワザとらしいか)。場所はどこかといえば、茨城県かすみがうら市にある雪入(ゆきいり)ふれあいの里公園というところ。筑波山の山懐といってもいい地域である。で、実は先の二人は、その公園の中にある池の畔でバードウォッチングをしているところなのである。
 今日、私たちはドライブでここまで来た。初めての場所なので、風景がすべて物珍しく、随分と写真を撮ってしまった。
 この後、私たちは昨年も訪れた小野小町の里へ寄って、お目当ての新蕎麦を食べたり水車小屋を眺めたりした。この辺は別名「柿の里」とも呼ばれ、一面に広がる柿園には黄色く色づいた柿の実がたわわになっていた。秋の風景と風物詩を満喫した1日だった。

ふれあいの里公園。ススキが穂を開き始めた。まだ開き切らないこの時期のススキがいちばん美しい。そう思うのはワシだけか。
ふれあいの里公園。おや、前を行くのはワシの妻と娘ではないか!(またまたワザとらしいナ)。どちらが妻で、どちらが娘かは、その体型からして言わずと知れたことであろう。
ふれあいの里公園。山道に落ちていた蛇の皮。何という蛇かはわからないが、ここで脱皮をしたのであろう。こいつをサイフに入れておくとお金が貯まるというが・・。
小野小町の里。山から流れ下るせせらぎに咲いたカエルグサ。ワシは山陰地方の田舎育ちなので、この花が無性に懐かしい。子供の頃に遊んだ田んぼの畦道によく咲いとったのう。
小野小町の里のシンボルともいえる水車小屋。小屋の中では今も蕎麦の実などを轢いて粉にしているらしい。ひょっとしたら、今日食べた新蕎麦もここで轢いたものかも。
小野小町の里。カキはワシらの大好物じゃ。せっかく柿の里に来たからにはと、採りたての新鮮なヤツをガバッと買って帰る。売り場のおばさんが、2つもオマケにつけてくれたのが嬉しい。

10月22日(土)11
赤羽の三益酒店へ集合!

 揃いも揃ったり。7人の男女が集まったここは東京の北区赤羽駅からバスで3つ目の停留所そばにある三益屋酒店。酒店にカウンターがあるのも珍しいが、これもご主人の趣味の一つとか。今宵は酒店ご主人お勧めの地酒や地ビール、ワインや焼酎に酔いしれ、奥さん手作りの料理に舌鼓を打ち、胸襟を開いて語り合い、笑い合う。何年ぶりかで会う人とは「お久しぶり!」と久闊を叙し、初めて会う人とは「どうぞよろしく」と互いに自己紹介をしつつ愉快な時は過ぎゆく。
 これは、キリちゃんこと画家の桐谷逸夫氏と夫人のエリザベスさんを中心にした気のおけない仲間たち。年齢も職業も国籍も顔も姿もまちまちなのだが、その時都合の好いメンバーが年に1、2回、一旦こうして集まれば、いつもそうなのだが、一切の偏見や先入観やバリアもなく互いに打ち解けて、なおかつ、何だかスリリングな気分。
 三益屋酒店でさんざん飲んだあと、私たち無差別&無国籍集団は夜の赤羽駅へと舞い戻り、ネオンまたたく「OK横丁」の飲屋街をそぞろ歩くのだった。

趣味が高じて自分の酒店の一画にカウンターを作ってしまった三益屋酒店のご主人。今日はそのお披露目会なので、とても張り切っていらっしゃる。
キリちゃんが人生を語り、意気に感じた人生の大先輩が合いの手を入れる。みんな大いに飲み、食べ、笑い、好き放題に喋り合う。
夜の赤羽OK横丁は相変わらず賑わっていた。駅前の再開発は進んでも、ここだけは昔と変わらない。時間の止まった異空間だ。

9月14日(水)11
山本周五郎の浦安へ

 千葉の船橋商工会議所でDM講演を終えた後、妻を誘って浦安方面を散策してきた。ディズニーランドに近い新浦安ではなく、昔からの古い漁師町の名残りを留める旧市街の浦安の方である。ここは山本周五郎の「青べか物語」の舞台であり、前々から一度歩いてみたいと思っていた。特に、最近、森繁久彌が演じる古い同名映画を観たことが影響している。それは、画面にザアザア雨が降るような60年代の白黒映画だったが、実に浦安の遠浅の海の様子や、漁師町で暮らす庶民の生活が活き活きと描かれていて、胸の奥がキューンとなる懐かしい映画だった。
 私たちは、浦安市郷土博物館でたっぷり時間をかけて昔の人々の暮らしに触れた後(上の写真)、100円で乗れるコミュニティバス「おさんぽバス」で市内を周遊し、フラワー通りの近くで降り、そこからあちこち見て歩いた。旧宇田川家住宅や旧大塚家住宅では、係りの人が明治、大正、昭和初期の頃の生活ぶりや家具や建築物の細部などを丁寧に説明してくれた。
 こうして私たちは、短い間だったが、どこか遠く懐かしい山本周五郎の世界に身を預け、心の旅を楽しんできたのだった。

浦安市郷土博物館。私が子供の頃は、まだこんなゴミ箱が町のあちこちにあった。家は当然のことながら木造、板張りが多かった。
浦安市郷土博物館。玄関は土間、八角形の掛け時計や居間のちゃぶ台、木の桟と摺りガラスの窓など、昔の家はみんなこんなだった。
フラワー通りにある旧宇田川家住宅。係りの女性が、実に親切丁寧に建物の内部構造について細かく説明してくれた。
フラワー通りからちょっと入った旧大塚家住宅に置かれた蝋人形。漁師の父親とその娘が漁網を修理している様子が見てとれる。
浦安市の境川に架かる橋から地下鉄東西線の架橋を見る。どことなく漁港の雰囲気が感じられる。境川のもう少し上流は桜の名所らしい。
旧大塚家住宅の係りの女性が教えてくれた蕎麦屋さんで、名物のサラダうどんを食べる。生ビールも頼んだのは言うまでもない。

9月9日(金)11
名古屋へ出張の旅

 日帰りの出張で名古屋へ行ってきた。仕事仲間のH氏と2人して、本社が名古屋にある通販会社へのプレゼンテーションだった。その帰り、時間があったので、
「天気もいいし、どっか行ってみますか」
「いいですねぇ」
 というワケで、すぐに名古屋城に行くことに話がまとまった。
 地下鉄の駅を降りると、そこは広大な公園になっていた。名古屋は道路も広いが公園も広い。城に着くまで、歩くは、歩くはで、息が切れる始末。
 500円を支払って城内へ入り、エレベーターで天主閣の最上階まで昇り名古屋市内の景色を眺めた。あとは階段を一階ずつ降りながら歴史的展示物を見て回った。有名な金の鯱(しゃちほこ)の実物大模型を見たが、さすがに巨大なものだった。
 城見物を終えた私たちは市バスでのんびりと名古屋駅へ向かい、新幹線の指定席を取ってから、おもむろに食事処を目指した。あらかじめ情報を仕入れておいた、多分地元の人しか知らないであろう穴場的な店だった。それは、実はすぐ近場にあって、駅構内の目立たない入口から地下へ潜るのである。狭い通路の片側には、名古屋名物を供する店が並んでいる。その中の一軒、名古屋コーチンを出す店に入り、さっそくビールで乾杯し、焼酎のお湯割へと定石通りの段取りを進めるのだった。
「旨い!」
 ひと仕事終わったあとの一杯は、この一語に尽きる。
 さて、今日プレゼンした会社が本当にモノになるかどうか。それはまだ未知数だが、もしアカウントが成立すればでかい仕事になりそうな予感がある。いずれにしても、多分あと何回かは名古屋へ来ることになるだろう。

名古屋城と言えば金の鯱(しゃちほこ)だろう。これは、その実物大模型。遠くから見るとわからないが、実はこんなにでかいのだ。
名古屋城の天主閣から市内を眺める。お堀の向こうに名古屋の中心街が見える。そのずっと向こうに名古屋駅があるハズだ。
これは名古屋市役所。レンガ造りの独特な風貌である。地下鉄でなく、バスに乗ったから、こんな風景に出会うことができた。
名古屋駅構内にある、穴場的飲食街への入口。ここから地下へ潜って行くのだが、多分地元の人しか知らないと思われる。
名古屋駅の新幹線ホームで食べたきしめん。立ち食いの店なのだが、これが滅茶苦茶旨かった。行列が出来ていた。

9月8日(木)11
モノレールで西新井大師へ

 午後、ふと思い立って日暮里・舎人(とねり)ライナーで西新井大師へ行ってきた。この新交通システム(モノレール)が開業してから、早いものでもう4年目になる。ここ荒川区日暮里から尾久橋通りの上空を真っ直ぐ北へ、足立区を突っ切って埼玉県境ギリギリの見沼代親水公園まで、13駅9.7キロの路線である。所要時間にしてせいぜい20分。道路の真上、ビルの5階くらいの高い所を走るので、眺めが非常によい。この5両編成の車両の最大の特徴は運転手がいないことだ。新橋からお台場へ行くゆりかもめと同じ完全自動システム。世の中、進んだものだ・・。そんな不思議な気持ちになる。
 西新井大師西駅(上の写真)で降り、住宅街をブラリブラリとお大師さんまで歩く。初めて足を踏み入れる町というのは、いつもワクワク感があって好きである。やがてお大師さんに到着。境内を一巡りして門から出ると、東武大師線の大師前駅にぶつかった。これがまた実に不思議な駅で改札口もなければ切符売り場もない。駅とおぼしき建物に勝手に入って階段を登ると、だだっ広いプラットホームに出た。そこから一両電車に乗ってひと駅だけ走り、東武伊勢崎線の西新井駅で降りる。そこで外に出ればタダ乗りしたことになるが、当地にこれといった用事もないので、ここで初めてスイカで改札を通り本線のホームに出たのだ。
 そこからの道のりは、東武線で北千住まで行き、常磐線に乗り換えて三河島で降り、途中スーパーで買物がてら会社までブラブラ歩いて帰った。ちょっとそこまでのつもりが、2時間を超える大散歩になってしまった。

西新井大師の境内。水子地蔵がこんなに沢山集まっている所はあまり見たことがない。供養する人の思いが何となく伝わってくる。
西新井大師の本殿。正式には総持寺といい、真言宗豊山派の寺であるという。何だか知らないが、実に堂々としているね。
同じく境内にある塩地蔵。立て札を読むと、何でも、江戸時代から特にいぼ取りその他に霊験ありと伝えられているらしい。
西新井大師の門前には、いかにも昔からの老舗といった土産物店が軒を連ねている。何やら美味しそうな物もいろいろ売られていた。
改札も切符売り場もなく、タダで電車に乗れる東武大師線大師前駅。ガランとしたプラットホームに不思議な空気感が漂う。

8月30日(火)11
早稲田メルシー界隈

 しばらく行かないでいると、たまらなく行きたくなる。そんな店の1つや2つ、誰にでもあるのではないだろうか。私にとってはそれが早稲田のラーメン店「メルシー」なのだ。決して頻繁に通っているワケではないが、平均すると、年に3〜4回くらいはメルシーに足が向いてしまう。
  今日がまさにそんな日だった。新宿区河田町にある東京女子医大病院で定期検診を受けての帰り、迷わず地下鉄で早稲田へ行き、メルシーへ立ち寄った。時刻は昼休みをとっくに過ぎており、席はほど良く空いていた。
「ヤサイ、ください。それと、ビールの小瓶」(上の写真)
  席に着くなり、そう注文する。私にとってそれ以外のメニューは考えられない。20代のサラリーマン時代から数えて、40年以上も同じメニューを注文し続けていることになる。ヤサイというのは野菜ソバの短縮形である。この味がまた何ともクセになる味なのである。値段は500円。
  その頃、私は早稲田界隈のアパートに住み、竹橋にある外資系出版社に勤めていた。毎朝、早稲田大学の正門前の道を地下鉄早稲田駅まで歩いて通勤していた。会社の帰りや休日にメシを食ったり、珈琲を飲んだりする行きつけの店の1つがメルシーだった。その頃よく行った店といえば、あァ、今でも思い出す純喫茶「早苗」、早稲田茶房、定食屋「河太郎」などだが、みんななくなってしまった。メルシーはその中で今も現役の数少ない店の1つなのだ。メルシーの野菜ソバよ、永遠なれ。

これぞメルシーの野菜ソバ。GABANのコショーと、レンゲ一杯分のお酢を振りかけて食すと、コ、コ、これがメチャ旨いのだ。
メルシーと同じ通りにある、やたら目立つ超デコラティブな建物。これって30年以上も前からあったような気がする。一階の店はいろいろ代わったけどね。
早稲田大学正門前の大隈講堂。昔と比べて随分と明るく綺麗になったね。降り注ぐ夏の陽射しを浴びて、ますます光り輝いて見えるのう。
大隈通りも昔と比べて見違えるほど綺麗になった。何だか洗練された感じで、泥臭かった面影はもうどこにもない。ずっと向こうに大隈講堂が見えている。

8月27日(土)11
川五郎の極上鰻重

  今日の土曜日は妻と娘を乗せての気軽なドライブだ。行先は昔、息子と娘を遠く離れた千葉の学校へ送り迎えしていた頃によく通った道で、この方面へ来るのは久しぶりのことだった。
  その頃、クルマの窓からいつも見かけたのが、広い田んぼの真ん中にポツンと一軒だけある川魚料理の店だった。娘が卒業するまで何十回、いや、ひょっとしたら百回以上も通ったのに、その店にはまだ一度も入ったことがなかった。道沿いに「うなぎ川五郎」という大きな看板がかかっていた。小さな川の畔だった。
「あの店に行ってみようか」
  今頃になってその店に行く気になってしまったのだった。潜在的にずっと心の一部を占めていたとみえる。なぜか気になる。そんな店だった。
  娘と私は極上鰻重(上の写真)を注文した。値段は2千9百円で、極上にしては割安感があった。妻は鰻重のボリュームを想像したのか「私、そんなに食べられない」と言って天ざる蕎麦を注文した。
  こんなご馳走を目の前にして、まさかビールを頼まないワケにはいかないだろう(何でやねん)。私は娘に「な、運転頼むよ」と揉み手をしながら笑いかけ、睨む妻の目を気にしいしい、そっと片手を上げて店の人に大ジョッキを注文するのだった。
  鰻の味は文句なく素晴らしかった。やはり評判の店らしく、幾つかあるテーブルは地元の人たちで賑わっていた。私たちはすっかり満足して店を後にした。サービスで出された鰻の骨の唐揚げはパリパリと歯触りが良く、香ばしくて、特に娘は痛く気に入ったみたいだった。
  最後にわかったのだが、川五郎はせんごろうと読むのだった。

ご馳走を目の前にしてビールを頼まないなんて、とても考えられない。休日の昼間に極上鰻重と大ジョッキ。「あァ、幸せじゃ、幸せじゃ」(これを演歌調で10回繰り返す)。
「うなぎ川五郎」は、八千代市の広大な田んぼの真ん中にポツンと一軒だけある。川沿いの小高い丘の上という立地のせいか、何とも気になる店である。
近隣の水場には、珍しいガマの穂の密生地がある。秋が深まると、この黒い穂の部分がほころび、無数の綿毛となって空中を飛んでゆく風物詩が見られる。
農家の庭先に咲き乱れるオミナエシ。漢字では女郎花と書く。言わずと知れた秋の七草の1つだが、こうして群生する様は何とも風情があるね。
これも農家の庭先で見かけたザクロの実。私がいつか庭に植えたいと思っている最も好きな樹木の1つ。実もいいが、梅雨時に咲く鮮やかなオレンジ色の花もいい。

8月6日(土)・13日(土)11
夏祭りだ、花火大会だ!

8月6日(土)
  今日は団地の夏祭りである。子供たちも大きくなったせいか、最近はあまり顔を出さないが、今年は10年ぶりに妻が町内会の役員をやっているので、久しぶりに「行ってみようかな」という気になった。
  何年ぶりだろう。浴衣を出して袖を通してみる。インターネットで帯の結び方を思い出しながら(これが何度やっても覚えられない)、娘にも手伝ってもらって、やっとそれらしくなった。これもまた長らく履いていない下駄を出してきて引っかけ、帯に団扇を差して、外が暗くなり始めてから娘と一緒に家を出た。妻は会場準備のため、もうとっくに出かけている。
  団地内の公園にはヤグラが組まれ、模擬店のテントが幾つか張られて、準備はすっかり整っているようだった。あらかじめ用意してきた食券で、まずは缶ビールと焼き鳥を買い、娘と二人で適当な場所に陣取る。
  ビールを飲みながらハワイアンダンスを見たり、ヤグラの上で次々に繰り広げられる歌や演奏や太鼓などを見ているうちに、辺りはすっかり暗くなり提灯に灯が入って、だんだん団地の夏祭りの雰囲気が出てきた。ビールの酔いも回ってきた。
  テント小屋では色んな食べ物が供されていて、それらを次々に食券で買っては食べたり飲んだりした。実は、うちのカミサンはタコ焼きを売る係りになっているのだった。あとで聞いたら、ものすごい人気でたちまち売り切れになってしまったという。
  この団地に入居して23年になるが、最近は子供の数がめっきり減ってしまった。たまに引っ越してくる若い家族がいるくらいのもので、多くは熟年夫婦世帯のようである。うちも例外ではないのだが。
  でも、今日の夏祭りでは小さい子供の姿もかなり見かけた。うちの団地にもこんなに子供がいたんだ・・と、少し安心した。
8月13日(土)
  団地の夏祭りからちょうど1週間後の土曜日は、利根川の河川敷で「取手市花火大会」があった。今年は1ヶ月くらい前からインターネットで有料のさじき席を予約しておいたので、場所取りの心配をすることもなく、家族3人でゆっくり出かけて、ゆったりと指定席に陣取った。
  さっそく用意してきたごちそうを広げ、缶ビールの栓をプシューッと開けると「さあ、いつでも来い!」の心境になった(別にそんなに気張ることもないのだが)。外はまだ明るいし。
  最初の打ち上げ花火が上がったのは午後7時だった。それまでは河川敷に設けられたステージで音楽演奏や太鼓などのアトラクションがあって、それなりに退屈しないような工夫がされていた。花火そのものは、今年は東日本大震災の影響もあって30分短縮の午後8時までということらしい。
  見事な花火が打ち上がったときは拍手と歓声がすごい。毎年10万人以上の人出になるというが、その地鳴りのような歓声が花火の破裂音とともに腹にずっしりとくるねェ。
  花火もすごいが、土手の下の路にズラッと並んだ夜店がすごい(上の写真)。これを目当てにそぞろ歩く人々の数と熱気もすごい。10万人といえば、ここ取手市の人口と同じである。町中の人が一人残らずこの河川敷に集まったと同じ状態ということになる。すごいなあ、と思う。
  最後は恒例のシカケ花火「ナイアガラの滝」で締めくくりだ。これからまだまだ暑い日が続くが、何となく「ああ今年の夏も終わったなァ」という気持ちになった。

団地の夏祭り。
公園に設けられた祭り会場では、まだ明るいうちから、まずは女性有志たちによるハワイアンダンスが始まった。
団地の夏祭り。
うちのカミサンはタコ焼きを売る係りだ。予想に反してものすごい売れ行きで、用意した分がたちまち売り切れてしまったという。
団地の夏祭り。
縦横に張られた提灯が夏の夜風に揺れる。ここは牛久沼の畔で緑が多く、夜ともなればコオロギやスズムシの音がうるさいほどである。
団地の夏祭り。
ヤグラの上で太鼓演奏が始まると、子供たちが集まってきた。中には踊り出す子もいて、賑やかなものだ。老人ばかりだと思っていた団地に「こんなに子供がいたなんて!」
取手市花火大会。
手作りの肉ジャガがまだ温かい。カツオのタタキは持参したナイフで切って食べる。ショウガもその場でおろす。これも有料さじき席だからできること。
取手市花火大会。
わあ、空から花火が降ってくる! 特大の打ち上げが「ドーン」と開いた瞬間は、地鳴りのような歓声と拍手が沸き起こる。何しろ、取手市の人口と同じ10万人が集まっているのだ。
取手市花火大会。
花火は、打ち上げやシカケやスターマインなど、色彩も形も音もさまざまで実に楽しかった。特に、間近で見る花火の音はズシーンと腹にこたえる。
取手市花火大会。
最後を飾ったシカケ花火「ナイアガラの滝」を見る子供たちのシルエット。まだまだ暑い日がつづくが、何となく今年の夏も終わったという気がした。


6月26日(日)11
今年もシャラが咲いた

 梅雨の時期になると、わが家の庭にはシャラの花が咲く。別名ナツツバキというだけあって、花の形状もツバキにそっくりだが、ポトリと地面に落ちるところもツバキそのままである。
  今朝はゆっくり9時半頃に起床。妻はもうとっくに仕事に出かけてしまって、家にはいない。まずは、自分でリハビリと称しているストレッチやスクワットや逆立ちや呼吸法などをゆっくりと行う。休日は特に念入りにね。時計を見たら42分も経っていた。
  次にスニーカーを履いて散歩に出かける。自宅近くには広大な牛久沼が広がっていて、周辺の里山は格好の散歩コースになっているのだ。30分ほどの散歩時間のほとんどを後ろ向きに歩いた。自分では「逆歩」と勝手に呼んでいるのだが、こうすると普段使っていない筋肉がほぐされるようで実に気持ちがいい。農道で散歩している人と出会っても、後ろ向きに歩きながら顔だけ動かして「おはようございます!」と挨拶をしてすれ違う。
  散歩から帰る頃には、週末に帰省している娘もそろそろ起き出していて、さあ、これから朝昼兼用メシの準備である。
「ゴハンは何にする?」
「うん。何でもいいよ」
  冷蔵庫の中を見て今日の献立を考える。
「お、焼肉があるぞ」
  娘にヤマイモを摺ってもらう間に、味付き焼肉を炒める。同じフライパンでキャベツとピーマンも炒める。それを大皿に盛って、キュウリの漬け物と一緒にテーブルの上に並べる。さあ、できた! もちろん、ビールもね。
「乾杯!」
  グラスをカチンと合わせて父娘で食事。これがまた、旨い!
  食後にはメロンまるまる1個を半分ずつ食べて、すっかり満腹になってしまった。あとは、庭のシャラでも眺めながら、ソファでひと休み。それから溜まった新聞でも読むとしよう。娘は(若いに似合わず?)テレビの「NHKのど自慢」を楽しみにしているようだ。
  ああ、のんびりだなァ、と思う。休日の午後のゆったりとした時間が過ぎてゆく。毎日がこうだと、どんなに気楽だろうか。でも、これがずっと続いてもちょっと退屈かな。やっぱり、もう少し仕事を続けてもいいな、なんて考えているうちにウトウト午睡をしているのだった。

シャラの花は、咲き切ってしまわないうちに地面にポトリと落ちる。木の花はそれほど目立たないので、地面に落ちて初めて「あ、今年もシャラの季節になったな」と実感するのである。
庭のガクアジサイ。まったく咲かない年もあるけれど、今年は見事な大きな花をいくつか咲かせ、目を楽しませてくれた。来年もまたがんばってくれよ。

5月2日(月)11
根津神社と齋藤氏の個展

 打合せが一段落した夕方5時過ぎ、仕事仲間のH氏とブラリ根津方面へ向かった。私たちの共通の知人で画家の齋藤氏から、個展の案内ハガキを二人とも受け取っていた。その個展会場が根津にあるのだった。夕方といっても、この季節、外はまだ十分に明るい。
「根津神社に寄ってみない?」
「いいですねェ」
  どうせ根津に行くなら、今が見頃の根津神社の「ツツジまつり」を避けて通るワケにはいくまい。
  案の定、ツツジの花は真っ盛りで私たちの目を楽しませてくれた。つい最近改修工事を終え、新装なったばかりの門をくぐり、金ぴかに輝く本殿に参拝してから私たちは根津神社を後にした。
  画廊は、古い根津の町の路地の奥にあった。画廊とはいっても、多分明治か江戸時代に建立されたであろう歴史的質屋の屋敷と倉を、殆どそのままの形を残して画廊スペースにしたものである。名前も質屋のサウンドを活かして「ギャラリー根津七弥」という。
  私たちがよく行く西日暮里のバー「キャラメル」のママさんも来ていた。画家の齋藤氏はキャラメルの常連客でもあるのだ。
  たっぷりと画を堪能した後、H氏と私は画廊を辞し、夕闇迫る根津の路地を日暮里駅方面へと歩いた。向かうはそこから常磐線で一駅目の三河島駅前にある居酒屋「若松」である。
「まだ、この前のボトルあったよね」
「ありましたかねェ」
  そんな会話を交わしながら、私たちの心はもう暗くなったコリアンタウンにあるお馴染みの居酒屋の暖簾をくぐっているのだった。

根津神社の大鳥居の向こうに、今が満開のツツジの花が見えている。
根津神社境内。これは見事だ。ずっと上の高台の方までツツジの花が続いている。高台は千駄木三丁目の高級住宅街である。
根津神社境内。ツツジの植え込みの中を走る赤い鳥居のトンネルは、境内にあるお稲荷さんまで続いている。
つい最近新装なった根津神社の門と、その奥に見えるのは本殿。随分ときらびやかになった。
七弥画廊へと続く根津二丁目の藍染通り。軒を列ねる家々には必ずといっていいほど鉢植えの花々が置かれている。
ここが「ギャラリー根津七弥」の玄関。上がりがまちから靴を脱いで上がると、そこは畳の座敷だ。
畳の部屋でアルバムに見入るお客さんたち。坊主頭の人が齋藤氏。そんな客人たちをキャラメルのママさんが面白そうに見ている。重い鉄の扉の向こうは元々は質屋の倉である。
これは齋藤氏の新作とか。ちょっと高いけど気になる画である。キャラメルのママさんも「いいわねェ」と溜め息だった。

4月10日(日)・13日(水)11
牛久の桜、谷中の桜

4月10日(日)
  早朝4時半に起床。昨夜は夕食時にビールと日本酒をたらふく飲み、午後10時にはもうベッドに入っていたっけ。家族はまだ寝ているので、そっとリビングに降りてテレビのスイッチを入れる。マスターズゴルフ中継をやっていたので、しばらく観戦。世界の超一流選手たちのプレーは見ていて飽きないものがある。お茶とヨーグルトを飲み、朝刊に目を通す。でもやっぱり眠くなり、また2階に上がって2度寝。
 9時、再起床。窓を開けて空気を入れ換え、30分ほどストレッチとスクワットを行う。壁に向けて逆立ちもやった。この一連の運動(格好良く言えばエクササイズ)は、自分ではアンチエイジング効果のある「リハビリ」と心得ているのだが、いつだったか妻と娘が「気休めよ」と笑っていたのはいかがなものか。
 やがて、看護師をしている妻が当直勤務を終えて帰宅。起きてきた娘と声を揃えて「お疲れさん!」と妻を出迎える。いつもなら妻は軽く食事をして寝に入るのだが、今日は娘と私と3人で近くへお花見ドライブに行くことになっているのだった。
 スーパーでお花見弁当と飲み物を仕入れ、まずは目をつけておいたつくばみらい市(旧伊奈町)のふれあいの丘公園へクルマを走らす。ここはアスレチック広場や日本庭園、温泉施設などがあり、外国製のSLが置いてあったりする。そして、何といってもこの季節、桜並木が見事なのだ。
 次はつくば市に戻って、牛久沼を見下ろす茎崎運動公園の桜を観賞しつつ、すぐそばの知る人ぞ知る桜の名所、老人福祉健康センターへ。ここの桜は今がまさに満開。訪れる人もなくひっそりとした風景の中で、私たちは咲き誇る桜を贅沢にも独り占めしたのだった。
 そこから、お花見の定番ともいえる牛久市のシャトー神谷へ。ここはこれまで何回となく訪れているが、さすがに今の季節は大賑わいで、地ビールやバーベキューを楽しむ花見客であふれかえっていた。
 最後の締めはちょっとシブく、牛久あやめ園でキメることにした。ここでは、まだつぼみのアジサイやアヤメなどと一緒に牛久沼の水辺に咲く桜を楽しんだ(上の写真)。そして、持参したお花身弁当を広げ、ビールで「乾杯!」。娘よ、悪いけど帰りの運転は頼むよ。
 こうして、短い時間ではあったが、今年の家族でのお花見は終了した。これに息子も加われば言うことなしなのだが、仕事多忙のためそれはかなわなかった。また、来年のお楽しみである。さて、午後からは私も仕事が待っている。これから常磐線の駅まで送ってもらい電車で日暮里へ出勤である。また、怒濤の一週間が始まるのだ(汗)。
4月13日(水)
 仕事の合間を縫って、午後から谷中方面へ散歩に出かけた。桜の花もそろそろ終わりに近づいている。
「今日あたり、見納めかな」
 そんな気持ちもある。東京に桜の名所は多いが、ここ日暮里から歩いて行ける所といえば、やはり谷中霊園と上野公園であろう。特に不忍池辺りの満開の桜は「わァ、すごい!」と声に出して言いたくなるほどに見事だ。
 どういうワケか私はこれまで霊園の近くを転々としてきた。そして霊園といえば必ず桜の名所となっているのだ。20代の前半頃には雑司ヶ谷のアパートに2年ほど住んだ。すぐ近くに雑司ヶ谷霊園があり夏目漱石やジョン万次郎の墓があった。それから30代の中頃まで巣鴨地蔵通りのマンションに8年間ほど住んだが、近くに染井霊園があり、よく散歩に行ったものだった。ここはその名の通りソメイヨシノ発祥の地であり、霊園には岡倉天心や二葉亭四迷、高村光太郎と智恵子の墓などがあった。40代にずっと勤務していた外資系広告代理店のビルから見下ろせる所に青山霊園があり、同僚と昼休みによく缶ビールと弁当を買って花見に行ったものだった。
 その傾向は今も変わらず、谷中霊園近くの日暮里に事務所を構えてもう15年になる。実に何とも早いものである。光陰矢の如し。

牛久沼畔の老人福祉健康センター。「娘よ、何を撮っているのサ?」「もちろんサクラの花よ」「それより、私を撮っておくれ」。
これが本日のわが家のお花見弁当だ。スーパーでゲットした、いつもよりちょっと高めの特別バージョン。ビールと焼き鳥もね。
うっすらと芽吹き始めた谷中霊園の大イチョウが、日暮里駅前の高層ビル群と背比べをしている。ここ数年で日暮里の風景もガラリと変わってしまった。
谷中霊園。色とりどりの花に囲まれた墓。さしかかった中高年女性グループが「きっとお花の好きな人だったんでしょうね」と話しながら通り過ぎて行った。
谷中霊園。幹から直接咲き出した桜の花びら。この太さだと樹齢50年か、100年か? ソメイヨシノの樹命は意外に短いと聞いているが。
谷中霊園のど真ん中を貫くメイン通り。お花見の名所だが、桜も盛りを過ぎたせいか人影は少ない。普段と余り変わらない感じだ。
谷中霊園そばの小径。昔ながらの板塀が懐かしいね。少し遠回りしてでも通りたくなってしまう道である。

2月3日(木)11
駒込アザレア通り商店街

 散歩で駒込まで来ることは滅多にない。何しろ駒込は、私の事務所がある日暮里から山手線で4つ目の駅なのだ。歩くにはちょっと遠過ぎる。なぜ、ここまで足を延ばす気になったかというと、かれこれ3年くらいご無沙汰している居酒屋があるからだ。名を「あおい」という。まだあるのかどうか。いつも山手線の車窓から「アザレア通り」というどこか昭和の匂いのするアーチ型の看板(上の写真)を見るたびに、気になっていたのだ。
  もともと「あおい」は谷中にあった。私の事務所からは徒歩5分、山手線をまたいで「谷中銀座」を通り抜け「よみせ通り」に突き当たって右に折れた辺りだった。最初は一人で入ったのか、誰かに連れられて入ったのかどうか、その辺はもう思い出せない。今から15年も前のことになる。
  その頃はよく「あおい」に通ったものだ。一人でカウンターに腰掛け、確か新潟出身で昭和一ケタ(あるいはギリギリ大正か)生まれの女将さんととりとめのない話をした。友人や仕事仲間と行くこともあったし、ちょっとした接待に使うこともあった。酒は剣菱の樽酒が置いてあり、一定の時間になると「私もいただいていいかしら」と、もう自分の升に酒を注ぎながらおねだりするのが女将さんの口癖だった(これには誰もイヤとは言えない)。女将さんが目の前で作ってくれるシマアジの刺身とつみれ汁が旨かった。
 それがあるとき女将さんが突然倒れた。重い病気で入院を余儀なくされ店もたたまざるを得なくなった。これがもう10年くらい前になろうか。その後、幸いにして女将さんの病気は良くなり「駒込のアザレア通りで小さな店を始めました」という手書きのハガキが来た。それでも何となく、地理的に遠くなったこともあり、しばらくは行かなかったのだが、つい3年くらい前に池袋からの帰途ひょこっと寄ってみたのだ。私の顔をしげしげと見た女将さんの第一声は「わァ、お化けが来た!」だった。これには私も開いた口がふさがらなかったが、驚きを表す彼女なりの表現に「ま、いっか」と升酒を何杯か飲んで帰ったのだった。ただ、女将さんはすっかり老けて、シマアジを切る包丁がブルブル震えていたのが気にかかったと言えば言えた。「私もゴチになっていい?」という口調は昔のままだったけどね。
 さて、今日は入るべきか、入らざるべきか。暖簾が出ているので店の準備は出来ているのだろう。でも、時間はまだ4時過ぎ。店が存在していることがわかっただけで安心した感もあり、結局「今度、何かの勢いをつけてから来よう」と心を決め、暮れなずむアザレア通り商店街を後にした。

アザレア通り商店街。久しぶりに見た「樽酒あおい」の提灯。店構えは昔よりずっとこぢんまりした感じになっていた。
アザレア通り商店街。冬の日は早い。まだ4時過ぎだというのに、街のあちこちに灯が点き始めた。

1月1日(土、祝)11
わが家の正月風景2011

 今年の正月は大変だった。暮れも押し詰まった12月29日に、外食産業で働いている長男が十二指腸穿孔で倒れ、救急車で職場近くの春日部市立病院に運ばれたのだ。早朝に報せを受けた私は、取るものも取りあえず病院へ急行したかったが、生憎その日の午前中は新宿で重要なプレゼンがあり、それを終えるや電車を乗り継いで病院に駆けつけたのだった。すでに妻と娘が来ていて心配そうにベッドの脇で見守っていた。幸い息子は一命を取り留め、緊急処置を受けて静かに眠っていた。
  そんなこんなで、結局、息子は2週間ほど入院加療、それから自宅で1か月半も静養することになったのだった。現在は、職場に復帰している。
  以上のようなワケで、「正月どころではない」正月ではあったが、それでも例年通り、妻と娘と私の3人で「明けましておめでとう」と新年の挨拶を交わし、お屠蘇とお節料理をいただけたのはありがたいことだった(上の写真)。仕事もまあ順調だったので、妻と娘にそれぞれの年齢に千円を掛けた金額のお年玉を渡すことができた(ホッ)。
 ちなみに、私が勝手に「有田家のチャレンジ」と呼んでいる今年の抱負はそれぞれ次のようになった。
息子:健康第一で行くぞ!(現状からして当然の心境だよね)
娘  :実習を無事に終えるぞ!お菓子を作るぞ!(昨年は「クッキーを焼くぞ!」だったが実現せず)
妻  :健康を維持するぞ!(昨年と同じ)
私  :6冊目の本を出すぞ!(監修本としてすでに3月に実現せり!)
庭を掃除する妻。真冬だというのに、そんな軽装で大丈夫か? でも、何だか楽しそうだね。
冬枯れのわが家の庭にも、咲く花がある。真っ赤なジェラニウムの花とシロタエギクの葉が陽射しを浴びて「鮮やかだなァ」。
年賀状の返事を書く娘と、なぜかそばに付き添っているシロタン。シロタンはいつも行儀が良く、気品がある(親バカか)。

どれどれ、シロタンをグッと近くで撮ってやろうか。何を考えているのかまではわからないけど、やっぱり気品があるね。





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