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                                    つれづれなるままに・・・ 「ひぐらしの里日記」 有田 昇
■2010(H22)年

12月4日(土)10
嬉しい季節の便り

 一年を通じてわが家には、親戚や友人たちからさまざまな産物が送られてくる。実に何ともありがたいことである。
  昨日、郷里鳥取からマツバガニが届いた。山陰特産のチクワも一緒に入っていた。こんな日は夜になるのが待ち切れなくて早い時間から酒になる。上の弟よ、ありがとう。初夏には旬のアゴチクワ、夏には上の弟の嫁さんの実家が作っている二十世紀梨も一箱送ってくれる。
  やはり今の季節、東北の北上市にいる下の弟からは立派なサンフジというリンゴが送られてくる(上の写真)。ゲンちゃん、いつもありがとう。
  少し前、山梨の親戚からは自家製の赤白のワインが一升瓶2本で送られてきた(上の写真)。これがまた飲みやすくて、正月が来る前に空いてしまう(誰が空けるんじゃ)。山梨の叔父さん、いつもありがとうございます。叔父一家は果樹園をやっているので、夏にはブドウやモモも送ってくれるのだ。先月、叔父の具合が悪いというのでお見舞いに行ったが、思いの他元気でホッとした。
  酒といえば、今年も「真穂人」という新酒を送ってくださったのは千葉のHさん。さっそく味見をしたが今年の出来は例年よりいいようですぞ。Hさんは、夏には千葉特産の豊水という梨も必ず送ってくれるのだ。いつもお志ありがとうございます。
  また、秋口になると妻の実家の徳島からスダチが山ほど送られてくる。これは冷蔵庫に入れておくと冬までもつので、鍋物や焼き魚、漬け物、焼酎などに重宝している。おねえ(義姉)さん、いつもおおきに。
私の郷里鳥取から届いたマツバガニ。これは地方でオヤガニと呼ばれるメスのカニで東京では入手困難。外子と内子が特に旨い。
同じく鳥取名産のトウフチクワとアゴチクワ。アゴチクワは地元でも1本600円もする高級品である。
仕事仲間から届いたハムの詰め合わせ。もう一人からはプレミアムビールが届いた。ワシは本当に幸せ者じゃ。


11月26日(金)10
青山、表参道から原宿駅まで

 港区北青山にある東京女子医大附属青山病院でMRI検査を受けたあと、時間があったので青山通りをブラリ歩いてみることにした。実は、5年近く前にクモ膜下出血で倒れ、幸い一命は取り留めたものの、それ以来ずっと脳内検査を受けていなかったのだ。
  午前10時からの予約で、内心、朝から身構えているところがあったのだが、MRI検査そのものは20分くらいであっけなく終わってしまい、ちょっと拍子抜けした感じだ。検査結果は1月の定期健診の際にドクターから聞くことになっている。
  巨大な白いカプセル装置から解放されたせいか、こうして自由に外を歩けるのが妙に嬉しい気がする。今のところ、身体のどこも痛くないし病んでもいない。「自分は健康だ」と意識しながら一歩一歩踏みしめて歩く。ありがたいよなあ・・とつぶやいてみる。
  気ままな私の足は渋谷方面へと向かい、やがて表参道の交叉点を右に折れ、クリスマスの装飾に彩られたケヤキ並木の大通りをゆっくりと進む。何でもない路地にフラッと入って行きたい誘惑に駆られる。昔あった店がなくなったのを確認したり、新しい店を発見したり、すれ違う若い人たちの服装に感心したり、歩道橋を渡りながら眼下を走るクルマを眺めたりした。
  明治通りを横切ると、もう目の前に明治神宮の入口が見える。さあ、これから事務所に帰ってひと仕事だ。原宿駅から山手線に乗るか、それとも神宮前駅から東京メトロ(地下鉄)にするか。ああ、そうだ。その前にどこかでランチをしてから帰るとしよう。
信州善光寺別院「南命山善光寺」。表参道交叉点のすぐ近く、青山通りから数歩入った所にこんな静寂な一画があるなんて。
表参道交叉点からちょっと入った路地で見つけたプチ・ワインバー。時刻もそろそろランチタイム。うーむ、非常に惹かれる。
表参道に架かる歩道橋を歩く。アーチ型の窓と、アーチ型に張り出したベランダ。この辺は、洒落たマンションが多いね。

表参道から路地を眺める。何の変哲もない小径だけど、フラっと入ってみたい誘惑に駆られるのはなぜだろう。
神宮前の歩道橋から原宿駅を見下ろす。明治神宮の森を背景に、風情ある駅舎だね。それにしても人が多い。


11月21日(日)10
小野小町の里に遊ぶ

 思いがけず「小町の里」に足を踏み入れることになったのは、まったくの偶然だった。自宅からクルマで1時間ほどの筑波山へ、紅葉を見に行くつもりで妻と出かけたところ、山の入口付近でクルマが大渋滞。ちっとも前に進まなくなった。時刻はもう昼近く。この調子では目的地に着く頃には夕方になってしまう。
「うーむ。困ったね」
「どうする?」
「筑波山はやめて、柿の里に行こうか」
  何年か前、筑波連峰の尾根伝いにドライブして「柿の里」と呼ばれる村に行き着いたことがあった。その名の通り柿農家ばかりで、確か八郷(やさと)という地名だった。
  私たちはクルマをUターンさせ、以前走った尾根伝いの道とは別ルートで八郷方面を目指した。ところが、初めての道でなかなか目的地に辿り着けない。気がつくと、いつの間にか「小野」という見知らぬ部落に入り込んでしまった。案内版を見ると、この辺りは別名「小町の里」と呼ばれ、万葉の歌人小野小町がその生涯を終えた地とある。
「へえ。ちょっと寄ってみる?」
「うん」
  そこは地図で確かめてみると、筑波山の横腹に食い込んだ谷の1つで、柿の里もすぐ近くだった。私たちは「小町ふれあい広場」の駐車場にクルマを駐め、「小町の館」の展示物を見たり、谷川を少し登ったところにある「小野小町腰掛石」に座ったり、山道に自生しているミカンの実をもいで食べたり(少し罪悪感あり)、水車小屋(上の写真)を見たりした。
  小町ふれあい広場の一画にある蕎麦処では手打ち蕎麦が供されており、折りしも今日から新蕎麦に切り替わったという。さっそく賞味したが、その香り、味わいとも「グー!」だった。
  そんなワケで、私たちは最初の目的地「筑波山」でもなく、次に目指した「柿の里」でもなく、偶然の成り行きではあったが「小町の里」を散策することになったのだった。こんな一日も悪くない。
小町の里にある蕎麦処にて。ちょうど今日から新蕎麦に切り替わったという幸運に恵まれ、とてもご機嫌な女房なのだ。
小町の里は土浦市の外れ、旧新治村の山際にある。平安時代の歌人小野小町がその生涯を終えたという伝承の里である。
小町の里にて。イチョウの葉が、まるで透き通るような見事な黄色に染まっていた。思わずシャッターを切る。


11月13日(土)10
山梨の叔父の家へ行く

 母方の親戚がある山梨にはもう何年も行っていない。なぜ、急に行くことになったかといえば、鳥取在住の弟から「山梨の叔父さんの具合があまり良うないらしいで」という電話があり、お見舞いがてら久しぶりに会いに行くことになったからである。
  この日、前日から飛行機で上京しホテルに一泊したという弟夫妻と私は新宿駅で待ち合わせ、午前8時発のスーパーあずさ5号の乗客となった。何だか懐かしい響きだなと思ったら「8時ちょうどのあずさ2号で〜」という昔流行ったヒット曲の一節だった。
  石和温泉駅に到着すると、叔父の長男つまり私たちの甥がクルマで迎えに来てくれていた。何年ぶりかで会う叔父は思ったより元気で、布団の上に上半身を起こし笑顔で私たちを歓迎してくれた。大正8年生まれの私の母より3つ下というから、今年88歳、米寿ということになる。近くに嫁いでいる姪や東京のもう一人の甥も今日のために集まってくれて、内藤家一族の賑やかな再会となった。
  叔父のお見舞いという一仕事を果たした私たち3人は、それから甥の運転するクルマでドライブ。御坂峠から富士山を眺め、甲州名物のホウトウ鍋を賞味し、屋根のない観光バスで紅葉の河口湖巡りを楽しんだ。夕方、今夜の宿を湖畔のホテルに取ったという弟夫妻と別れて、私は河口湖駅から富士急行、大月から再び特急あずさに乗り換えて東京へ向かったのだった。
山梨県笛吹市八千蔵の叔父の家にて。叔父一家と、私と、私の弟夫妻。この顔ぶれが全員揃うことは多分もうないかもしれない。
御坂峠の天下茶屋。かつて太宰治がここに逗留し「富士には月見草がよく似合う」の一節で有名な小説「富嶽百景」の題材を得た。
御坂峠にて。海抜1,500メートルを超えるこの辺りにはブナの樹も見える。鮮やかな紅葉が秋の深まりを告げているようだ。

御坂峠から河口湖に向かう道沿いにある有名な店に入り、皆で甲州名物ホウトウ鍋を食べたら腹一杯になってしまった。

10月10日(日)〜11日(月、祝)10
山里の秋はソバの花が満開

10月10日(日)
 庭のキンモクセイが満開だ。甘く濃密で、どこか郷愁を誘う香りが部屋の中にまで漂ってくる。
「ああ、懐かしい匂いだ・・・」
 何だか、遠い昔の記憶が呼び覚まされるような気分になる。
 日曜日は家でのんびりと過ごす。たまった新聞を読んだり、昼寝をしたり、お茶を飲んだり。気が向けばマウンテンバイクで牛久沼を一周したり、ゴルフの打ちっ放しに行ったりすることもある。
 午前中は妻と娘につき合ってスーパーへ買物に行き、新鮮なサンマを買ってきた。昼食はそれを焼いてスダチをかけて美味しくいただいた。もちろんビールも。明るいうちから飲むビールは何とも旨いものだ。他に、ウィンナとキャベツとピーマン炒め、ヤマイモかけご飯など。デザートは草餅とドーナツ、日本茶。
 夕飯はビールで乾杯し、焼酎のお湯割2杯、焼きジャケ、卵焼き、生キャベツ、寄せ豆腐とショウガ、ごはんとお茶。デザートは柿とスナックなど。
  食後は、看護学校から週末に帰省している娘と何かと話が弾んだ。それにしても、年頃の娘はよく喋るし、よく笑う。ちなみに、年頃ではないが妻もよく喋るし、よく笑う。
10月11日(月、祝)
 「ソバの花が見たい!」
 そんな気持ちに駆られ、妻と娘を誘って那珂川上流の梁場(やなば)へ向かった。ソバの花もいいが、鮎の塩焼きも悪くない。落ち鮎の季節である。
 実は、梁場へ行くのはわが家の年中行事。多いときは初夏と秋の2回行くこともある。今年はこれが初めてである。往きは私がハンドルを握り、帰りは娘に任す。なぜって、鮎の塩焼きに生ビールは欠かせないからである(何でやねん)。娘よ、いつもノンアルコールビールで勘弁な。
 ソバ畑は期待に違わず、満開の白い花で私たちを迎えてくれた(上の写真)。ここはもう茨城県と栃木県の県境辺り。山里の秋と一面のソバ畑。この季節感、この空気感。何ともいいものである。
わが家の庭にも秋が来た。キンモクセイの花が満開になったと思ったら、1週間ほどで盛んに散り始めた。
庭のアメリカハナミズキの葉と実も赤く色づいた。この赤い実をねらってよくムクドリが飛んでくる。
那珂川上流の大瀬観光梁(やな)にて。今年の落ち鮎は大振りで卵もぎっしり詰まっていてまことに美味だった。

那珂川の梁が見下ろせる絶好の囲炉裏席。ここに腰を落ち着けて川風に吹かれながら味わう生ビールと鮎は絶品である。
白いソバの花が満開である。ソバは米や麦などのイネ科ではなくタデ科らしい。穀物の仲間ではないところが面白い。

農家の庭先に咲いていたケイトウの花。過ぎ去った真夏の残り香を辺りにまき散らしているようだ。
コスモスの花も満開だ。娘よ、どんな荒れ地にも咲くコスモスのようにたくましく可憐に育ってくれ。

秋の陽射しを一杯に浴びて育つ白菜とネギ。これから寒さに向かってますます美味しくなる冬野菜の代表選手たちだ。

8月22日(日)〜24日(火)10
旧友と山形の温泉へ

8月22日(日)
 医学研修会で上京した中学・高校時代の旧友ドクターシオと、またまた温泉にでも行ってみようということになった。実は昨年我々は4月と8月に2回も温泉巡りをしている。そのときは、もう一人の旧友で大学教授をしているアッツァンが一緒だったが、今回はアッツァンは研究会と重なって来られなかった。それにしても、かつての中学・高校トリオは、この頃ではすっかり「中高年温泉トリオになってしまったなぁ」と痛感する次第である。
 そんなワケで私たちは羽田発16:30発のANA便に乗り込み、1時間後には山形庄内空港に到着。タクシーで湯野浜温泉「龍の湯」旅館にチェックイン。さっそく旅装を解いてひと風呂浴びたのだった。
8月23日(月)
 「夕べはちょっと飲み過ぎたじゃないかえ」
 「ほんだなぁ」
 そんな鳥取弁の会話で始まった翌朝、私たちは朝風呂、朝食、勘定と一連のルーティーンを済ませ「龍の湯」を後にした。今夜の宿、銀山温泉には夕方までに着けばいいので、時間はまだたっぷりある。取りあえず鶴岡市内の名所巡りをすることになった。まずは駅前で山形蕎麦を賞味したあと、鶴岡公園内にある「藤沢周平記念館」に向かったのだが、残念ながら月曜日は休館。止むなく、すぐそばの「致道(ちどう)博物館」に行く。ところがこれが大当たり。実に充実した時間を過ごすことができた。
 博物館の広い敷地内には、歴史的建築物が集められ、リトル「明治村」みたいな感じ。建物の中も自由に見学できるようになっていた。私たちはそれらを全部見て歩いた。ここではとても書ききれないが、その一部を紹介すると、「旧鶴岡警察署庁舎」や「旧西田川郡役所」といった明治の洋風建築物、茅葺き屋根の「旧渋谷家住宅」(いずれも重要文化財)、旧庄内藩主御隠殿と酒井氏庭園、民俗文化財収蔵庫、など。中でも圧巻は美術展覧会場での「鶴岡の街と人展」だった。ここには、鶴岡出身の歴史上の人物の作品や足跡が展示され、いつまで見ていても飽きないほどだった。
 それから私たちは時刻表を見い見い、羽越線で余目(あまるめ)、陸羽西線(愛称「奥の細道最上川ライン」)で新庄、奥羽本線で大石田へと乗り継ぎ、そこからは迎えのクルマに乗り、夕方近くなってやっと銀山温泉に辿り着いた。車両のドアを乗客が手で開閉するローカル列車に乗り、最上川に沿って東北山地のど真ん中を走るという実に何とも長閑な旅だった。
 その日の宿は外人女将で有名な「藤屋」だったが、残念ながら女将さんはカリフォルニアに里帰り中とのこと。でも、2年くらい前にリニューアルされたばかりの旅館は超モダンな総ヒノキ造りで木の香も清々しく、1日に13組の予約しか受けないという少数限定の贅沢なシステムになっていた。名料理長が手腕を振るう非常に凝った豪華料理や、すべて鍵のかかる趣の異なる5種類の浴室に分かれた源泉掛け流し風呂や、スタッフの上品で洗練された接客振りなど、値段は少し高めではあるが、質も風情も他の伝統的な旅館とは一味も二味も違ったホスピタリティーを満喫することができた。
8月24日(火)
 銀山温泉で迎えた3日目の朝、私たちは旅館の前に架かった橋の上で記念撮影(上の写真)をしてから、クルマで大石田駅まで送ってもらい、奥羽本線で山形市へ向かった。そこからは東北新幹線で東京まで一直線、わずか2時間45分で上野駅に着く。私の頭はもう、今日の午後から待っている仕事の段取りへと切り替わっていたのだった。
湯野浜温泉の夜は浴衣で街に繰り出し、旅館イチオシの割烹「一力」へ。さんざん飲んでカラオケを楽しんだのだった。
鶴岡市の「致道(ちどう)博物館」の境内には多くの歴史的な建築物が保存されており、この建物は旧西田川群役所。重要文化財。中には明治時代の生活資料が陳列されていた。
銀山温泉には、川を挟んで古い木造の湯宿が林立していた。夜ともなればガス燈や旅館の窓々に明りが灯り、がぜん歴史ある温泉町の雰囲気が出てくる。

朝の銀山温泉街。川の両岸を結ぶ木の橋が、ほぼ旅館一軒に一本くらいの割で架かっているのが面白い。この川を15分くらい上ったところに銀山の坑道跡がある。

7月13日(火)10
上野不忍池のハス

 午後、仕事にひと区切りついたところで外出。一日に一回は散歩に出ないと気が済まない。ちょうど銀行に立ち寄る用事もあった。
  用事を済ますともっと歩きたくなった。格好も半ズボンにTシャツ、スニーカーだし、リュックの中にはデジカメも入っているし。
「上野方面にでも行ってみよう」
  日暮里から京成電車に乗って次の終着駅上野で下車。不忍口を出たすぐの所にある上野東急をのぞくと北野たけし監督・主演映画「アウトレイジ」の看板がかかっている。
「うむ、面白そうだな」
  実はこの頃、どんな封切り映画でもシルバー料金の1,000円で観られるので、気軽に映画館に入っているのだ。タイムテーブルを確認すると次の開始までまだ40分ほどある。それまで不忍池をブラリ散歩することにした。
  不忍池はハスの葉で埋め尽くされていた。すごい生命力である。大振りのピンクの花もあちこちに咲いている。写真を何枚か撮ったが、弁天堂と高層ビルが並んだ新旧の対比が面白い(上の写真)。
  この日は、その後、映画を観てから会社へ帰ったので、結局4時間もの「東京大散歩」となったのだった。
冬に比べて池の鳥たちの数はものすごく少ない。でも、このカモはワタリもせずに日本の暑い夏をどう過ごすのだろうか。
ウィークデーのせいか、ボート乗り場はガランとしていた。不忍池の動物園側はハスがまったくといっていいほど生えていない。
ハスの花はバカでかい。直径20センチくらいある。花が開くときはポンッと音がするというが、ワシはまだ聞いたことがないゾ。

それにしても不忍池のハスはすごい。文字通りビッシリだね。向こうに見えるのは中華料理で有名な東天紅の青い屋根。
大きなハスの葉に水が溜まってゆらゆら揺れている。子供の頃、郷里でハスの葉を雨傘代わりにして遊んだものだった。


6月20日(日)10
今年もシャラが咲いた

 シャラの木というのをご存じだろうか。別名ナツツバキともいう。わが家の庭にはシャラの木があり、今の季節になるとツバキに似た白い花をつける。それが開ききらないうちにポトリと地面に落ちる様もツバキにそっくりなのである。
 シャラの幹はサルスベリみたいにスベスベしていて光沢がある。この幹の感じと花の様子が好きで、この家を購入した22年前に庭の主木として植えてもらった。4本の株立ちのシャラだった。それから何年かして台風で4本の株のうち最も太い幹が地面から1メートルくらいのところから見事に折れてしまった。7〜8メートルくらいはあっただろうか。
 このとき、4人家族の主人が倒れてしまったような気がして、私はショックを受けたものだった。私は自分のうちが4人家族であることと、シャラの木が4本の株立ちであることを重ね合わせて考えていたのである。
 その後、幸いなことに、シャラの根元から新しい株立ちが芽生え、今はすっかり4人目の「シャラ家族」として育ってくれている。何だか、ものすごく有難いことだと感じている。
自宅の庭。シャラの花は全部開ききらないうちに地面にポトリと落ちる。それが最大の特長である。別名ナツツバキと呼ばれる意味がよくわかる。
自宅の庭。今年はガクアジサイがよく育った。毎年、花が落ちたらすぐ丸坊主になるくらい枝を短く剪定するのだが、年によって花が咲いたり咲かなかったりするのはなぜだろうか。
自宅のテラス。マツバボタンはまさに真夏の花という感じがする。これは品種改良された八重咲きのマツバボタン。

わが家の庭にはパーゴラがある。家を建てた最初の頃は甲州ブドウがよく実をつけ自家製ワインなども作っていたのだが、10年ほど前に枯らしてしまった。
玄関のシラカシの手入れをするウチのカミサン。力仕事はもっぱらカミサンまかせ。我ながら何とも情けない次第である。


6月10日(木)10
久しぶりに鳥取へ帰省

 今年91歳になる母の具合が悪く、何年ぶりかで郷里鳥取へ帰った。ちょうど福岡でDM講演があったので、その帰路立ち寄る形になった。先日一緒に東北旅行をした弟、久しぶりに顔を合わす奥さん、それに次女のゆきちゃんが私を歓待してくれたのは嬉しかった。特に奥さんの手料理は素晴らしいものがあった。私もそれを密かに楽しみにしていたのだったが。
 母はすっかり身体が弱り、殆ど寝たきりで、目も見えなくなっていた。それでも私の声はわかるらしく、私の名前を呼んでは手を握ることができたのは幸いだった。不肖の長男である私に代わって鳥取の家を守っている次男夫妻の話によると、最近の母は一日中眠っており、食事もあまりしなくなったという。しばらくはこのまま見守っていくしかないようだ。
 翌日は早く起きて、私が18歳まで過ごした鳥取市内の思い出の地を散策した。この日、弟がわざわざ会社を早退して、クルマで砂丘など山陰海岸国立公園(冒頭の写真)をドライブしてくれた。遠く兵庫県の湯村温泉やバイカモ公園まで連れて行ってくれたのは、私にとっても初めての経験だった。
 東京へは、翌日の朝の飛行機で帰着した。今回の帰省では、母がまだ意識のはっきりしているうちに、手を握りながら話ができたことが何よりだったと思っている。
鳥取市。城跡に建つ優美な西洋館。重要文化財。「仁風閣(じんぷうかく)」という館名は、ここに宿泊された大正天皇行啓の折り、随行した東郷平八郎が命名したものという。
鳥取市。久松山(きゅうしょうざん)の麓にある城門。子供の頃、この辺でよく遊んだものだ。懐かしいなぁ。
城跡の石段を登り、二の丸から鳥取市街を一望する。眼下に見えているのは仁風閣の全貌。遠くにかすむ山並は中国山地。

鳥取城跡。二の丸のいちばん高いところ、三階櫓跡の石垣。久松山麓の城跡は鳥取市民の憩いの場であり、特に二の丸はお花見の名所でもある。
鳥取砂丘にある「砂の美術館」。砂像マイスターと呼ばれる芸術家たちが作り上げる巨大な砂像群は迫力満点。特に動物たちの目がすごい。まるで生きているようだ。

兵庫県新温泉町の田君川バイカモ公園。一年を通じて水温15度の湧き水という環境下でバイカモは育つという。
同じく田君川バイカモ公園。梅花(バイカ)に似た白い花が、澄み切った水の流れに身をまかせて可憐に咲いていた。

兵庫県湯村温泉。吉永小百合主演の「夢千代日記」の舞台となった山峡の小さな温泉町である。熱湯の噴出する荒湯(あらゆ)では温泉卵や茹で野菜があっという間にできあがる。
同じく湯村温泉。川っぷちに立てられた幟(のぼり)が初夏の風にはためく。何だか、ゆっくり湯治でもしたくなってきた。

鳥取県岩美郡横尾。日本棚田100選にも入っているというこの眺めは懐かしい里山の風景そのものだ。思わずクルマを止めてカメラのシャッターを切る。
放浪の俳人、尾崎放哉の句碑の横に立つ小生の叔母。今年、85歳になる。碑の文字は「せきをしてもひとり」という有名な一句。叔母はなんと尾崎放哉住居跡の住宅に住んでいるのだ。


5月14日(金)〜16(日)10
弟たちと蔵王温泉へ

5月14日(金)
 東京ビッグサイトでのDM講演を終えたのが午後3時半。それから東京駅へ急行し、ロッカーに講演資料など一式を預け、新幹線改札口へ行くと上の弟が笑顔で待っていた。鳥取から飛行機で上京したばかりだった。
「どうだえ。元気にしとっだか?」
「ああ、元気だっちゃ」
  そんな鳥取弁で挨拶を交わした私たちは、16:30分の東北新幹線で一路仙台へ。仙台のホテルで私たち三兄弟が合流し、一緒に東北温泉旅行を楽しむことになっているのだった。車内では缶ビールを飲みながら積もる話に花が咲く。
  仙台到着後、まだ明るいうちに三井ガーデンホテルにチェックイン。そこでまた、弟持参の焼酎のお湯割を作って、ちびちび飲みながら下の弟を待つ。やがて、岩手の北上市で働いている下の弟がクルマで到着。久しぶりに顔を合わせた私たちは、夜の仙台国分町へ繰り出し、牛タン料理を堪能したのだった。
5月15日(土)
 7;00起床。ホテル自慢の最上階展望風呂というのに入り、朝食はバイキングでたっぷり摂る。さあ、それからは下の弟が運転するブルーバードで仙台を出発。この辺の地理に詳しい下の弟に「悪いなぁ、運転はゲンちゃんに任したで」と私たち二人は呑気なもの。アイスボックスに冷やしてあるバドワイザーを飲み放題なのだった。
  山形では芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山寺(立石寺、写真上)に参詣し、山形市内に戻って山形城跡を見学。昼は老舗「庄司屋」で蕎麦を賞味。そこからいよいよ目的地の蔵王温泉を目指すのだった。蔵王では、残雪を踏みしめながらお釜まで登り、最高峰の熊野岳(1840メートル)を目の前に眺めることができた。 蔵王山の樹氷原や鄙びた温泉街の風景は下の写真をご覧あれ。
5月16日(日)
 旅の3日目は山形市から上山市を抜け米沢市へ入った。米沢駅の親切な観光ボランティアの方から名所旧跡案内を聞き、地図をもらって米沢市内をドライブ。上杉神社、上杉伯爵邸、謙信御廟、林泉寺、直江石堤などを巡り、昼は金剛閣という精肉店で米沢牛の網焼きを賞味した。
  こうして私たち三兄弟の旅は終焉を迎え(そんな大層な)、ゲンちゃんは岩手へと帰っていった。それから私と上の弟は東京行きの新幹線上の人となったのだった。
山寺(立石寺)にて。断崖の上に建つ納経堂(左)と開山堂を背にパチり。納経堂は、戦国および江戸時代の武将で山形城主でもあった最上義光の祈念により修造されたという。
山寺(立石寺)にて。岩を覆い尽くすように咲いているヤマブキの花。まさに今が満開。実に見事である。
山寺(立石寺)にて。登り口辺りに群生していたシャガの花。寺の境内にこんな可憐な花が咲いていると何だかホッとする。

山形城にて。最上義光の銅像。義光は関ヶ原の戦では東軍につき、武勲を上げて徳川家康の覚えめでたく、57万石出羽山形藩の初代藩主となった。
山形市にある知る人ぞ知る蕎麦屋「庄司屋」にて。店前でひと休みする弟たち。ここの蕎麦はコシと香りが一味違う気がした。

蔵王山へ登るエコーラインにて。もう5月半ばだというのに、樹氷の名残りが見られたのは幸せだった。
蔵王温泉おおみや旅館にて。山の幸、海の幸に舌鼓を打つ。ビールは1本だけ注文し、持参した焼酎でこっそりお湯割を作って飲むのだった。

蔵王温泉には至る所に共同浴場があり、源泉が何か所も湧き出していた。これは泊まった旅館のすぐ下の上湯共同浴場。
米沢市の上杉神社。重厚な門の奥に本殿があり、参拝客で賑わっていた。入口には上杉謙信や上杉鷹山の銅像がある。

米沢市の上杉伯爵邸。明治29年に創建されたが、大正8年に火事で焼失。大正14年に再建されたという。中は郷土料理などが供されるレストランになっている。
上杉伯爵邸の庭。広々とした日本庭園で、池の周囲に石や樹木、ツツジなどが配され、芝生の広場もある。池には鯉が泳いでいた。

米沢市の謙信御廟。背の高い杉木立を抜けると、謙信をはじめ、景勝、治憲(鷹山)など上杉家歴代の廟が整然と並んでいた。
米沢市。林泉寺境内にある直江兼続夫妻の墓所。兼続は上杉謙信・景勝の信任厚く、学問や治水、産業興隆に優れ、長きにわたって藩政を統括し、米沢の大恩人と言われている。

同じく林泉寺。上杉家ゆかりの人々の墓所。窓のついた風変わりな墓石が面白い。遠景の現代建築の家々との対比が妙である。
同じく林泉寺。甲州夫人菊姫の墓。菊姫は武田信玄の四女で上杉景勝の正室だったと書いてある。なるほど、それで甲州夫人なのか。


5月12日(水)10
極上お赤飯「萬祝」

 赤飯が好きである。ワケもなく好きなのだ。で、赤飯を買いにわざわざ日本橋須田町まで出かけて行った。元はといえば、グルメ雑誌で美味しそうな赤飯の写真と記事を見たのが始まりだった。
  その名を萬祝という。モチ米正一合分の赤飯を丸形のおにぎり状態にしたもので、その形といい、ボリューム感といい、照りといい、豆のササゲの色合といい、何とも旨そうなのである。
「く、く、食いたい!」とヨダレが止まらなくなった(ちょっと大袈裟か)。
  その店は和菓子司「庄之助」といい、大通りから一歩入った目立たない場所にあった。電車を降りてからさんざん歩いて、やっと見つけたのだった。汗びっしょりになりながら来意を告げると、奥から女将さんがにこやかに出てきた。
「マンシュクを一つください」
「はい。マイワイですね」
  女将さんは、さらににこやかに応対してくれたが、私は内心穏やかでなかった。(えっ、マイワイと読むのか。雑誌にはルビが振ってなかったのに・・)と、まあそんなワケで、皇室に納めたことがあるともいう極上お赤飯「萬祝」を何とかゲットしたのであった。
和菓子司「庄之助」は神田須田町にある。店名の由来は、女将のご主人の父が第22代木村庄之助(行司)だったことによる。
須田町から神田駅へ向かう道すがら、こんな店を見つけた。いまどきミルクホールとは! 一度入ってみたいものである。
神田駅前の飲み屋街。突き当たりに山手線のガードが見えている。一杯やりたいが、陽はまだまだ高い。


5月1日(土)10
谷中の路地ブラリ歩き

 お昼どき、良い気候に誘われて、久しぶりに谷中の町をブラリと散策してきた。「途中どこかで昼飯でも食おう」とそんな気持ちもあった。
  谷中といえば観音寺の築地塀である(写真上)。私の事務所からは5分の距離だ。そこを出発点にして、なるべく歩いたことのない細い路地を選んで歩く。
町のあちこちにある旧町名を示す案内版によると、この辺は「谷中初音町」といったらしい。なるほどね。それで「初音小路」という飲屋街があるんだと納得する。
  名もない路地を抜けると谷中霊園に出た。ツツジの花など見ながら墓地を通り抜け、三崎坂(さんさきざか)上へ。だらだら坂を下る途中にある小さなカフェで500円のソースヤキソバを注文。ビールを飲もうかと迷ったが、結局やめといた。どうも、オッサンがビールを飲む雰囲気の店じゃなかったからである。ちょっと後悔かなぁ。
  気を取り直して路地散歩を続ける。木々の葉はもう新緑を通り越して夏色に近づいている。道にこぼれる陽射しが風に揺れる。運がよければ富士山が見える富士見坂を下り、屋根の上のラクダ(下の写真参照)を見ながら谷中銀座に入り、そこからさらに「よみせ通り」へ。この辺りまで来ると、さすがに少し疲れてくる。午後の仕事も待っている。それから、なるべく初めての路地を選びながら帰途に着いたのだった。
谷中には、どうといって何の変哲もない路地が沢山ある。そんな路地を選んで歩きたくなるのはなぜだろうか。
谷中霊園の中の小路は迷路のようになっていて、お墓の前で突然行き止まりになったりする。立ち尽くすのもまたよしなのだが。
山手線の内側だというのに、谷中にはまだこんな畑が残っている。毎年、キュウリやトマトなどの夏野菜で賑やかになる。

板塀と竹垣に囲まれた路地は昭和の匂いがする。これは、私が好んで通る谷中の路地の一つ。少し遠回りしてでもここを通る。
どういうワケか、屋上にラクダがいるのだ。多分、谷中に比較的多いアーチストの工房か何かだろうと想像している。

谷中「よみせ通り」から一歩入ったこの路地は夜になると店々に明りが灯り雰囲気が一変する。ときたま行くバーが奥にある。
薬膳カレー1,000円は高いか安いか?一度食べてみてもいいと思っているのだが、どういう具合かまだ入ったことがない。

谷中の路地で見かけたシーサーの置物。誰かに持っていかれないかと心配したが、土塀瓦にしっかりセメントで固定されていた。

4月2日(金)・3日(土)・11(日)10
桜満開の春を歩く

4月2日(金)
  恒例の千鳥が淵でのお花見だ。金曜日の夕方5時半に皇居北の丸公園田安門前に集結。目の前は九段の靖国神社である。外はまだ明るく、満開の桜が私たち3人を迎えてくれた。
「いやあ、見事に満開だねえ」
「日が長くなりました」
「今年もみんな元気で何より何より」
  口々に久方ぶりの再会を祝しつつ頷き合う私たちは還暦と古稀の半ば(1名は完璧に古稀)にさしかかった熟年仲間であった。昨年はぎっしりの人込みで混雑したが、今年はそれほどでもなく、千鳥が淵沿いの小路をスムーズに進むことができた。
  やがて空に夕闇が迫り、桜並木がライトアップされる頃、私たちはいつものように竹橋のパレスサイドビルに到着。そしていつものように赤坂飯店に入ると、1年ぶりだというのにこの店のマネージャーは私たちの顔を覚えていて笑顔で迎えてくれた。
「それでは、改めて乾杯!」
「乾杯!」
  3人とも何とか無事で、今年もこうしてビールで乾杯できるのはめでたい限りである。
4月3日(土)
  午後9時過ぎ、日暮里から谷中方面へブラリ夜桜見物に出かけた。日暮里駅前の桜もとっくに満開になっていて、そのうち何本かはもう散りかけている。繊維街の桜並木も見事だ。
  駅南口の階段を上がり、谷中霊園の中へと歩を進める。この時間になっても花見客の姿は絶えない。夜桜の下に円陣を張り、あちらこちらで酒宴が開かれている。墓地を抜けて谷中銀座の入口方面へと歩く。そこは「夕やけだんだん」と呼ばれている一画で、谷中銀座商店街の石段を登り切った辺りである。ここには昔から古い桜の木が1本あって枝を道の真上まで延ばしている。ソメイヨシノとはまた別の種類のようだ。夜景の中にその白い花がこぼれそうに咲いていた。
4月11日(日)
  わが家のある牛久沼畔には桜の名所が幾つかあるが、「つくば市茎崎老人福祉センター」もその1つ。近場の人しか知らない隠れ名所で、わざわざ観に来る人間はほとんどいない。それだけに、ここに来ると一面の桜を独り占めにできる感じ。
  今日の午後、娘とドライブがてら寄ってみたら、桜はまさにハチ切れんばかりの満開。そよとの風でも吹けば、ハラハラと散る花びらが顔に舞いかかる。娘の口から「わあ、すごい!」という感嘆の声が洩れた。
  そんな様子をデジカメの動画に収録したのだが、私のパソコンが古くて動画に対応せず、皆さんにお見せできないのが残念である。
皇居の田安門。毎年この時期この場所に集まるのが私たち3人の恒例になっている。さあ、春宵一刻、値千金のときが始まる。
千鳥が淵。満開の桜をバックに撮ってもらった一枚だが、残念ながらちょっとピンボケ。でも、いい雰囲気出てるんじゃないかな。
次第に宵闇が迫り来る千鳥が淵の風景。お堀の水面すれすれに垂れ下がる桜の下を、恋人たちの漕ぐボートがゆっくりと進む。

日暮里駅前。恋人たちが肩を寄せ合い、満開の桜並木の下を歩く。自分も遠い昔にこんなこともあったような気がする。
日暮里駅西口から続く御殿坂。右は月見寺ともいわれる本行寺、左は谷中霊園。この坂を上ってすぐ夕やけだんだんがある。その石段を下れば谷中銀座商店街である。

夕やけだんだんから谷中銀座商店街の入口方面を見たところ。商店街へと下る石段にはいつも谷中名物のネコが何匹か佇んでいる。
つくば市茎崎。福祉センターの芝庭に人影はなく、ひっそりとしている。まるでそれに合わせたかのように、ソメイヨシノもひっそりと咲いている。

つくば市茎崎。福祉センターの周りには、こんな見事な桜の木が数十本もあり、今は盛りと咲き誇っている。いい加減な推定だが、樹齢50年くらいと見た。

4月1日(木)10
新宿御苑のユリノキ

 桜が満開の新宿御苑を歩いた。用事で新宿へ出かけ、その帰りに新宿駅の地下街で立ち食いそばを食べ、改札口に向かおうとしたとき「久しぶりに御苑に行ってみようかな」とそんな気分になったのだ。季節は春のまっただ中、天気も悪くない。桜も満開かもしれない。リュックの中にはデジカメも入っているし。
  平日とあって人込みはそれほどでもなかった。とはいっても桜は予想通りほぼ満開で、ちょうど昼どきでもあり、広い苑内では家族連れや老若男女のグループが桜の樹下に陣取り、賑やかな花見風景を繰り広げていた。
  私のお目当ては中央広場にそびえ立つユリノキだった。これはいつ見ても圧倒されるほどに見事である。その巨大な存在感と枝ぶりがすごい。恐らくは東京都内でも1、2を争う高さではないだろうか。上の写真をご覧いただきたい。枝の先端がうっすらと薄緑色に芽吹き始めているのがおわかりだろうか。ユリノキと呼ばれるだけあって、ユリに似た花が咲くらしいが一度見てみたいものだ。看板の記述によると、明治の頃にアメリカから日本に初めて移植されたのがこのユリノキで、樹齢は100年を超すという。
「高さは40メートルか。秋の黄葉も壮観だろうな・・」
  私より少し歳上の友人で、定年後に地域の「巨樹を見て歩く会」に入会し、関東一円の巨樹巡りの旅を楽しんでいる御仁がいる。そんな過ごし方もいいなと思う。かく言う私もとっくに定年を過ぎているのではあるが。
プラタナスの巨木が整然と並ぶフランス式庭園。映画のワンシーンみたいな雰囲気だ。ここも秋に来たいところである。
広い池の向こうに新宿西口のビル群が見える。やっぱ、ここは都会のど真ん中である。吹き渡る風が気持ちいい。
イギリス式庭園の芝生広場に屹立するユリノキの遠景。みんなお花見や遊びや会話に夢中で、ユリノキに注目する人はいないようだ

ソメイヨシノの花影がひときわ濃いこの辺りは絶好のお花見スポット。人影も濃い。
桜に負けずユキヤナギも満開である。鬱蒼と繁る針葉樹の深い緑の中で、桜の淡いピンクとユキヤナギの白が鮮やかだ。


3月30日(火)10
クロスオーバーときゃらめる

 行きつけのバーが2つある。2つとも西日暮里にある。1つはクロスオーバーという純粋なバーである。私よりちょうどひと回りほど若いママさんがいて、カウンター席は7人くらいで一杯になる小さな店。カウンターにスコッチとバーボンの瓶がズラーッと並んでいる様は見事である。
「今日は何かバーボン気分だな」
「はーい。わかった」
  そんな会話が通じる気楽な雰囲気がある。じゃ、バーボン気分って一体何と問われても,答は定かではない。ただ、スコッチよりもバーボンが飲みたい感じだなと思ったときにそう呟くことにしている。そうすると、ママさんが適当に私好みの(と彼女が思う)バーボンを出してくれる。
「この間、いいのが入ったのよ」
  そう言って、ふつうでは手に入らない珍しいブランドを出してくれることも多い。ママさん自身が横浜まで出かけて仕入れてくるらしい。
  このバーの特長は、ちょっと不思議なそのロケーションにある。これまで何回か、2階にあるバーの入口扉を開けて入って来た見知らぬ人が、カウンター席で飲んでいる私の背中すれすれにスーッと通り過ぎて奥の扉に消えて行く光景を目にした。えっ。いまの人だれ? あの奥の扉なに? そんな疑問を察したママさんは含み笑いをしながら言った。
「ここ、通路なのよ」
  ママさんの話によると、3階の住人が外出するにはこのバーを通るしかなく、ビル自体がそんな構造になっているのだという。一体どんな構造なんだ? 異空間へクロスオーバーしたような気分になったものだ。
  もう一つのバーはきゃらめるである。これはバーというよりスナックといった方がいいかもしれない。ボックス席が幾つかあり、カラオケの設備もある。団塊の世代よりちょい下くらいのママさんは、実に多趣味である。40代の頃まで250CCのオートバイで全国を走り回っていたらしい。
「全部行ったよ。行かない県はないわね」
  そんな写真を何枚も見せてもらったことがある。もともと演劇が好きで、どこかの劇団出身。映画やミュージカルや音楽や絵画など芸術全般に詳しく、読書家で、将棋を指し、俳句もこなす。
  一人か二人で静かにグラスを傾けたいときはクロスオーバーに、何人かで賑やかに飲みたいときはきゃらめるに行くことにしている。ただし、ママさんと将棋を指したいときは一人でもきゃらめるへ行く。
クロスオーバー。
下町のこの辺りで純粋なバーというのは珍しい。常磐線の線路沿いにあるこの看板は妙に気になる雰囲気だ。
深夜1時、2時まで消えないきゃらめるの黄色い看板。尾久橋通りに出されたこの看板は、夜が更けるほど輝きを増す。
きゃらめるの扉を開けると絵画や彫刻作品などを陳列したちょっとしたギャラリーが出迎えてくれる。その奥にはベレー帽を被った粋なママさんの笑顔がある。


3月14日(日)10
八千代市へドライブ

 何の変哲もないドライブと言えば言えた。妻と娘と私の3人で気軽にクルマで出かけた先は千葉県八千代市。なぜ、そんな所へ行く気になったかというと、かつて息子や娘が行っていた全寮制の中学と高校がその2倍くらい遠方にあり、その途中の八千代市は何かといえばよくクルマで通った道であるのが1つ。もう1つは、1年も前になろうか、妻が足の血管を手術するため入院した病院が八千代市にあり、その近くにちょっとした公園があるのを記憶していたからだった。
「わあ、ウメの花がきれい」
「ナノハナもいいね」
  道すがら、季節の花々が私たちの目を楽しませてくれた。スイセンやボケの花もあちこちに咲いていた。
  やがて公園に着いた私たちは、ベンチに敷物を敷いて弁当を広げた。私はビールはもちろんだが、2リットルの箱入り日本酒まで持ってきていた。それを昼間から堂々と、まさに白日の下に晒すのは少々気が引けないこともなかった。妻と娘は「また!」「ほんとにもう!」「まったく!」などの感嘆詞を発しつつ呆れるばかりであった。しかし私とてもこれは何とも致し方のないところ(何でやねん?)。娘よ、悪い。帰りの運転はよろしく頼む。
八千代市萱田地区公園。
芽吹き始めたヤナギの樹の下に立つ妻と娘。娘は私に似ていると言われるが、妻は私に似ていない。
八千代市萱田地区公園。
ちょっとポーズをキメてみました的な・・。背景は「ゆりのき台」のマンション群。
八千代市萱田地区公園のベンチの上に広げられたわが家の弁当。2リットルの日本酒の箱がさり気なく置かれとるのう。
八千代市萱田地区公園。
冬枯れの感はあるものの、陽射しや空気、それに芽吹き始めたヤナギの枝に紛れもなく春が来ている。

3月5日(金)10
尾久の原公園へ散歩

 9時30分起床。テレビ朝日で「ちい散歩」を見る。これは、俳優の地井武男が主に東京の下町を歩き巡るだけの、どちらかといえば地味な番組なのだが、ついつい見てしまうことが結構ある。この番組のどこに惹かれるのか深く分析したことはないが、気さくな感じや親しみ、何気ない安心感、心地よさなどが確かにあるようだ。知っている町や何かが出てくると、もういけない。食い入るように最後まで見てしまう。
  花粉症を抑える効果があるといわれるイペ茶を煎じて飲んでから、自分で勝手に朝行(あさぎょう)と称している著述活動を30分ほど行う。次に全身のストレッチと逆立ち、スクワットなどを、これも30分ほど実行。次に尺八吹奏を2曲から3曲ほど練習し、映画ビデオを使った英語リスニングも5分程度。ここまでは、一応毎日必ず行うことにしている日課である。いま、そんなことを細ごまとブログに書いている自分が何となく恥ずかしい感じがするのはなぜだろうか。
  1日1回は散歩しないと気が済まないタチである。銀行や郵便局やちょっとした買物や食事など、目的はあってもなくてもいいのだが、とにかく1日1回は外に出ないと落ち着かない。それも、明るいうちに外を歩きたい、町の空気を吸いたいという気持ちが強い。
  今日の散歩は同じ荒川区にある都立尾久の原公園だった。おぐのはら公園と読む。前にも何回か訪れたことがあり、道はよくわかっている。住宅街の中の道を北へ向かって、早足で歩けば30分くらいで行ける距離である。途中に美味しいキムチ屋さんや、北島康介選手の実家である北島精肉店や、京成線のガードや、荒川税務署や、昭和の匂いのする冠新道商店街や、一回だけ入ったことのある名もない(名前を思い出せないだけなのだが)小さな中華料理店や、都電の停留所や、ぬりえ美術館などがある。
  尾久の原公園は相変わらず広々として気持ち良かった。天気もよく、3月初めにしては気温も温かく穏やかだった。桜など春の花々が咲くにはしばし間があり、まだ冬の気配が残っていたが、陽射しはもう春だ。ヤナギの枝にはうっすらと芽吹きが感じられる。園内にそびえ立つツインタワーは都営と区立の高層アパートだ。
  いつものように、公園の端まで行って隅田川を眺め、釣り人も散見する公園の池をほぼ一周し、来たときとは別の出口から京成町屋駅方面へと歩を向ける。
そこから電車に乗り会社へ帰るのである。各駅停車に乗り一つ目が新三河島、その次が日暮里。いつものコースである。まだまだ書きたい散歩風景は一杯あるが、キリがないので今日はこの辺で筆を措くことにしよう。
尾久の原公園。
だだっ広い公園の中央に水たまりのような浅い池がある。水は澄んでいる。
尾久の原公園。
隅田川の土手までまっすぐに延びる公園内の道。のんびりと散歩する人々。
尾久の原公園の突き当たりが隅田川の土手で、向こう岸は足立区になる。いま、ちょうどモノレール「日暮里・舎人(とねり)ライナー」の5両編成電車が橋上に見える。

2月10日(水)10
ヨット部OBの東京支部会

 毎年1回は開催される大阪外国語大学(現・大阪大学)ヨット部OB東京支部会があった。場所は有楽町のビル地下にある季節料理の店「あづま」。これは先輩行きつけの店である。
  ヨット部3期の私にとって、今夜は懐かしい顔ぶれが揃った。1期のI先輩(ヨット部の創始者2人のうちのお1人)や、5期のI君、それに6期のN君は、ヨット部の合宿生活で同じ釜の飯を食った仲間である。同じ釜の飯は食ってはいないが、16期のK君、17期のUさんは、東京支部会で何度か会ったことがあり顔馴染みだ。17期のN君は、ずっと海外生活が長く、つい先日帰国したばかりで、今日が初めての出席という。
  ちなみにこの会では、自己紹介するとき例えば「ヨット部3期の有田です」と言う。決して「英語科の」などという形容詞はつけない。専攻学科よりも体育会を優先する風潮は現役時代と変わらない。実際、あの頃の私たちの学生生活はヨット部の合宿か、さもなければバイトに明け暮れる毎日であり、専攻の授業にさえロクに出なかった。今考えると、あれでよく留年しなかったものだと不思議な気がする。今日は来ていないが7期のN君などは、久しぶりに専攻の授業に出たところ教授に「お前、誰や」と言われたというエピソードがある。
  今宵集まった仲間は学年もまちまちだが、大学での専攻語もさまざまである。英語科は私だが、スペイン語が2人、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、朝鮮語と多士済々である。まさにインターナショナル。
  話題はいつもインカレでのヨットレースの成績、西宮や二色の浜での合宿生活のことなど。そして今となっては誰がどんな艇に乗っていたのかさえ定かではない。私たちの頃は、もう40年以上も昔になるが、A級ディンギーとスナイプクラスしかなかった。今は470クラスが主力らしい。いや、主力となってもう何十年にもなるという。それだけではない。最近は女性部員が主で男子は従らしい。うーむ。様変わりである。隔世の感ありである。
背後から料理が出るのも構わず大いに語るI先輩と、なぜか真っ先に眠りこける東京支部長のK君。
有楽町「あづま」はI先輩行きつけの店なので安心して飲める。和食の季節料理が美味しい。

1月30日(土)10
鳥取の仲間、千駄木画廊に集結

 鳥取西高のときのクラスメートの1人がアーティスト(女流画家のFさん)になっていて、何年かに1度の割で個展やグループ展を開く。今回のグループ展の会場は千駄木の団子坂を上り切った辺り。私のオフィスからも近く、歩いて20分くらいの距離だった。
「皆さんに私の画を見てもらえれば嬉しいです。そのあとにランチでもしたいですね。近くにいいお店はありますか?」
  正月にFさんからそんなメールをもらっていたので、私は東京在住のクラスメートに声をかけ、ランチにいい店を何軒か物色したりした。最終的に決めたのは、東京メトロ千駄木駅すぐの四川料理店「天外天」だったが、これは正解だった。なぜなら、料理もデザートも店の雰囲気もみんなに非常に好評だったからである。
  当日、画廊に集まったクラスメートは全部で7人だった。そのうちの一人Kさん(旧姓Wさん)と会うのは実に半世紀ぶりだった。鳥取一の老舗呉服店のお嬢さん、しかも超美人だった彼女に会えるというので、ワシの胸は実はドキドキものじゃった。だが、実際に会ってみると何のことはない、ふつうのおばさんになっとったワイ。ああ歳月よ。50年の時の流れというものは実に何とも溜め息じゃな。Wさん、ゴメン。
この展覧会のために描いたというFさんの最新作。最近、内モンゴルに旅したときの風景がモチーフになっている。
四川料理店「天外天」での記念撮影。いやはや、こうして見ると皆さん、昔日の面影ありやなしや?

1月20日(水)10
リーダイ仲間で新年会

 リーダイと言っても、いまや誰も知らないだろう。では、フルネームでリーダーズダイジェストと言ったらどうか? いや、それでも知らない人の方が多いかもしれない。私が大学を卒業してすぐ入社し、コピーライターとして15年間勤めていた外資系の出版社であるが、そのリーダイが日本から撤退して25年、もう四半世紀にもなる。
 「日暮里で新年会をやりませんか」
  コンちゃんが世話役となって有志に呼びかけ、久しぶりに集まったのがかつてのリーダイ仲間7人だった。日暮里に事務所を構える私が場所探しを受け持つことになり、駅前の「山田屋」を予約した。もともとは三河島に本店があり、知る人ぞ知るホルモン焼肉の老舗である。
  今宵、何年ぶりかで一堂に会したのは、自ら蕎麦を打ちながら店を経営して十余年、地元の名士にもなっているT氏、湘南で優雅な生活を送っているというHさん、同じく湘南のご自宅から週何回か東京へOLとして通うYさん、仕事を引退してからも地域のグループ活動に精を出すK氏(コンちゃん)、いまも現役のインテリアコーディネーターとしてバリバリのUさん、海外旅行を頻繁に楽しんでいるお金持ちのKさん、それに私を加えた7人である。
  私たちは再会を祝してビールで乾杯し、名物のホルモンやコチジャンたっぷりの焼肉やテールスープやチヂミなどを賞味し、マッコリ酒を柄杓で注いでは何杯もお代わりをした。飲み、食べ、大いに語り合い、笑い合った。食後はすぐ近くの谷中方面へ足を延ばし、夕焼けだんだん、谷中銀座、よみせ通りをゆっくりと散策。最後は三崎坂(さんさきざか)にある私の行きつけのライブカフェ「ペチコートレーン」で軽くお茶をしてから散会となった。
ホルモン焼肉の老舗として知る人ぞ知る「山田屋」。本店は三河島だが、日暮里駅前40階ビルの3階に支店を出した。
再開発により日暮里駅前はここ2〜3年で様変わりした。写真は駅へと続くモノレール「日暮里・舎人(とねり)ライナー」の架橋。

1月1日(金・祝)10
平成22年わが家の正月

5
 いつものように静かで、穏やかな正月だった。息子は仕事が忙しく帰宅できないので、余計静かだった。おまけに元旦は妻は仕事が入っており、娘と私の二人だけで迎えることとなった。前夜の大晦日に一家三人で大ご馳走を食べたり飲んだりしたので、元旦の朝はご覧のような(上の写真)簡単な食事を娘と二人で摂ることになった。これもまた良しである。
新聞を読んだり、年賀状を見たり、「あ、出してなかった!」という人に返事を出したりして、のんびりと過ごす。今年初めての富士山も眺めた。ここは富士見台という名前がついているだけあって、田んぼの向こうに富士山がよく見えるのだ。
昼は娘と竜ヶ崎のイトーヨーカドーへドライブ。その中にあるマクドナルドで軽くランチしたあと、今夜のために酒やワインを仕入れた。ヨーカドーは元旦から随分と人が出て賑わっていた。
外が暗くなった頃、妻が仕事から帰宅。それを待っていたかのように(実際に待っていたのだが)、三人ですぐ近くの千勝神社へ初詣に行く。今年は夜の初詣となった。冷気が一段と身にしみる。
それからがわが家の元旦の祝い膳である。あらためて「明けましておめでとう」とお屠蘇で乾杯し、お節料理をいただき、二人へ歳の数だけお年玉を渡し、各々が今年の抱負などを述べる。ちなみに、私が毎年勝手に「有田家のチャレンジ」という題をつけ、一枚の紙にプリントアウトしてリビングの壁に貼っている家族一人一人の今年の抱負は次のようになった。
息子:100万円貯めるぞ!(何と明確な目標であることよ)
娘:新しい生活を始めるぞ! クッキーを焼くぞ!(昨年は「ブリ大根を作るぞ!」だったがギリギリ大晦日に実現した)
妻:健康を維持するぞ!(昨年はこれに「体重を維持するぞ!」が加わっていたがこの目標は10年変わらず)
私:6冊目の本を出すぞ!(昨年も同じ目標だったけど恥ずかしながら実現できなかった)
1
大晦日の夜は妻の得意の煮物を中心に結構豪華版だ。このあとに年越し蕎麦も食べるのだった。
元旦の夕刻、わが家のある団地から富士山を見る。空気も澄んでシルエットがくっきりと美しい。
2
3
こんなシンプルな正月飾りだけど、わが家の新春風景に花を添えてくれている。
玄関の生け花。妻も娘も花の心得がある。小原流らしいが、ワシには流派の違いがぜんぜんわからんワイ。
4




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